氷博館U

2011年08月11日(木)
【神社は「障害者」が暮らす場所だった? ひぐらしより怖い、民間信仰の恐怖。】

日本神道は、

かごめの印(ダビデの星)、
菊の紋章、
赤い門(鳥居)


など、ユダヤ教と類似する部分が多い。
日本神道が古代イスラエルで生まれて、
イスラエル人がロシアやモンゴルを移動して、日本列島に持ち込んだ。
これを神話とするか、史実とするかは読者に任せる。



現代は絶滅したが、
紀元前の古代朝鮮にも鬼道という、精霊信仰があった。
この鬼道も発祥が不明だが、イスラエル発祥の可能性がある。


日本の相撲、韓国の相撲、モンゴル相撲、ロシアのサンボ術、
これらもイスラエルの武道が起源・原点と成った可能性は高い。
日本やロシア、朝鮮やモンゴルの文化の大半はイスラエル発祥の可能性がある。



これが、「日本人はイスラエルからやってきた」とする、
「日ユ道祖論」である。




さて、イスラエルから輸入されたかもしれない日本神道だが、
そこには「障害者に対する罪悪感を軽減させる」意味が発祥の可能性がある。


――――――――――――――――――


いつの時代にも、どの村落にも身体や精神に障害を持つ者はいた。

農業の労働力としては「役に立たない」そうした人材は、
現代のような社会福祉システム等ない時代には餓死するしか無かった。
しかし、そうした労働力としては「死んだ」=社会的存在としては「抹殺」され、
生きる場所を失った人材を神として「祭る」習慣があった。



農民は、家と田畑の間を行き来する毎日の狭い世界に住んでいた。
しかし障害者達は、農作業を行わず、1日中、
田畑の外縁にある野山を歩き回り、
放浪していた。



川の増水、渇水、土砂崩れ等、自然災害の予兆を一番最初に知る事になるのは障害者であった。


障害者達は、そうした増水、渇水が農作物の枯れ死、洪水につながる、あるいは土砂崩れが農民の家屋を飲み込む災害になる等と論理的に判断したのではない。


「いつもと違う」事に強い不安感を持ち、パニックになり暴れたのである。農民達はそれを「神のお告げ」と考えた。


農作業をやめ、農民総出で山河の点検に乗り出した。

すると必ず河川の増水、渇水、土砂崩れ等、農作物等に甚大な影響の有る、農民にとって死活問題となる異変が発見され、危機は未然に回避された。


「神の予言が的中し、農民の命が救われた」のである。



農民達は、こうしたシャーマンを神と考え、障害者の住む家を神社として建設し、食事を多目に作り、「神への捧げ物」として定期的に神社に供えた。障害者達はそれを食べ、人生を送った。



古事記等の有史のはるか以前から続いて来た日本的社会福祉システムである。


農家の若者、青年達は、婚姻適齢期の前、深夜この神社に「夜這い」を行い、
障害者の女性を強姦した。

青年達が農家の「正常な娘達」に対し、強姦事件を起こさせないための「治安装置」であった。


村外からの旅人も神社に宿泊し、供え物を食べ、障害者を強姦した。
部外者が農村に侵入し、食料と女性を探し犯罪を行う事が無いようにするための「防波堤」であった。
農民達は自分達の「身の安全」のために、障害者達に「人身御供、売春業」のような事実上の差別と「卑業」を強制した。



そのような差別により、農村の防犯と家庭生活の安全、部外者の侵入の阻止=社会のコミュニケーション過程の円滑化が得られた。



拙稿「現代ビジネスは・・」で記載したように、キリスト教においてイエス・キリストが社会全体から虐げられ、排除され、最後は十字架で「死に」、「無実の人間を殺した」という民衆の罪悪感をテコに、「あなた達は罪人である隣人を愛しなさい」と、絶対的権力者として復活命令する、その構造と同一のものが天皇制の根源にある。


農村内部の治安維持のため(農民男性は全員、
強姦犯人として障害者に対し一生罪悪感を持ち続ける)、


また農村の外とのコミュニケーション過程の円滑化のため、
障害者達を「虐げ、卑業」を強制し、
労働力としては「死んだ」ものとされた障害者が、
「神」として絶対的権力者として復活する。



――――――――――――――――




神とは人間の罪悪感を軽減するために、
信仰されて生まれた。


果たしてどうだろうか?
古代イスラエルから、
「障害者をいじめた事への反省」からシャーマニズムは起きたのか?


障害者は雑念が少ないから、
インスピレーションが働きやすいのかもしれない。
それを農民達が、神のお告げと勘違いしたのか?


古代イスラエルの時代から資本主義はあったが、宗教と資本主義は密接しているのかもしれない。


この「ひぐらしの・・」の世界観に似た怖い伝説を信じる信じないは貴方に任せる。


宗教の本質は、「罪悪感」をぬぐうために始まった、障害者信仰である。



宗教制度の本質は、弱者への犠牲の悲劇から生まれた、人間の罪悪感が主たる成分なのか。
結婚式や成人式も、人間を愛から遠ざける野蛮な風習の名残であろう。


宗教制度を生活の中心にするのは、
発展途上地域ならかまわないが、
現代日本にとってはかなり野蛮な事のように思える。





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