一条さゆり


一条さゆり

一条さゆり(いちじょうさゆり 本名:池田和子 1929年6月10日生)
 [ストリッパー/ポルノ女優]


 新潟県出身。金物職人の父親とその妻との間の7番目の次女として生まれ、7歳で実母と死別、年の離れた姉と離別後、父親が再婚したものの、継母からの冷たい仕打ち、異母弟の死などにより15歳(1942年頃)に家出した。18歳の時に東京都多摩郡で終戦を迎え、最初はパンパンをし、21歳の時にホステスとなり、最初の結婚をする。後に夫とは死別、息子は生後半年で施設に預けられ、後に親族養子に引き取られた。

 国際劇場(横浜市)でストリップにデビュー。東京、名古屋、大阪などで活動。芸名は赤羽マリ、リオ椿から、1966年に一条さゆりに改名。その半生をつづった駒田信二の実録小説『一条さゆりの性』で人気に火がつき、多くの「さゆりスト」を生んだ。1967年〜1973年まで『11PM』(よみうりテレビ)のレギュラーを務めたことにより人気が加速する。また、新左翼やウーマンリブなどの活動家から「反権力の象徴」と祭り上げられ、1973年には本人出演で、その半生を描いた映画『一条さゆり 濡れた欲情』も作られた。

 SM的な演出と「特出し」などの観客を喜ばせることに徹した芸により、1972年に引退するまで公然猥褻罪で9回検挙されている。また、引退興行にて大阪府警に猥褻物陳列罪で逮捕され、「ストリップは大衆娯楽、猥褻にはあたらない」として最高裁まで争うも懲役1ヶ月が確定、和歌山刑務所へ収監された。

 出所後はスナックを経営していたが、交通事故に遭って倒産。1988年7月27日午前1時50分頃、大阪市西成区の勤めていた居酒屋に男が現れ、ガソリンをカウンター内にまいて火をつけた。その後、男はさらに止めようとした客の男性の腹をナイフで刺して逃走した。その結果カウンター内にいた一条は全身やけどを負い、刺された男性は全治1ヶ月の重傷を負った。男は一条と交際していたことがあり、店にも何回か訪れていたという。別れ話のもつれが原因だった。

 晩年は労働者の街、大阪市西成区の釜ヶ崎で暮らした。その生活ぶりは近所の飲食店での数時間の労働で僅かな日銭で生計をたて、釜ヶ崎解放会館の三畳間で寝泊まりをするという非常に寂しいものだったという。1997年8月3日、肝硬変の悪化により68歳で死去している。


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