TOTTSUAN


TOTTSUAN

TOTTSUAN(トッツァン 本名:鈴木義智 1966年生)
 [ミュージシャン]


 1985年、TOTTSUAN(ボーカル)、TUNK(ベース)、KAS(ギター)、KINN(ドラムス)の4人で大阪にて、ハードコア・パンクバンド「S.O.B」を結成。バンドのリーダーとなる。1985年、DEMOテープを作成(6曲。ラジカセでダビングし、手書きジャケットで、極少数制作)。1986年、大阪のBEGGARS CONNECTIONより、オムニバス『Last Punk Osaka』が発売され、A面のトップに4曲収録。スピードは極端に速くはないが、この頃から大阪では既に速いバンドとして認識されていた。1986年、オリジナルメンバーのTUNKが「オウト」に正式加入する事になってしまったため、TOTTSUANはメンバーを固定させ、サウンド面での進化を考えて、全パートを再選考する事にした。 以前より目をつけていた、京都で少し前に解散していた「ザ・ボーンズ」のTOSHIMI、同じく京都の「セルティックフロスト」をやっていたYASUE、スケートボードショップ「VIOLENT GRIND大阪店」でバイトしていて、「ブルータス」で活動していたNAOTOに声をかけ、新体制を確立。このラインナップでの1st 7"EP「LEAVE ME ALONE」がS.O.Bを一躍有名にした。 YASUEが当時掛け持ちしていたSELTIC FROSTはかなり早いドラムリズムであったため、サウンド全体の加速は著しかった。ギグでの実際の演奏も、初期ラインナップと比べ物にならない速さになった。1987年、1stアルバム『Don't Be Swindle』を発表。当時ナパーム・デスのボーカルだったリー・ドリアンと交流が始まり、1989年に日本・英国を含むヨーロッパツアーが実現した。1990年秋にヨーロッパツアーを敢行。このときBBCラジオの人気番組「John Peel Sessions」に日本のバンドとして初めての出演を果たす。12月には2ndアルバム『What's The Truth?』を発表。当時のTOTTSUANとYASUEの方向性がデスメタルで合致し、スピードよりもヘビーなサウンドへ変化していった。1993年3月に3rdアルバム『Gate Of Doom』をトイズファクトリーより発表しメジャーデビューをはたす。1994年7月に4thアルバム『Vicious World』をトイズファクトリーより発表した。

 大阪ハードコア代表として活躍し、当時のグラインドコアバンドに多大な影響を与えたていたが、1995年6月22日、関西本線の八尾駅で電車への飛び込み自殺を図り死去。29歳であった。自殺の理由は有力な説として、薬物で警察に捕まった際に、警察の取り調べに屈して入手ルートや購入者の名前を警察に明かしてしまい、多くの知り合いに迷惑を掛けた上に、薬物を取り扱う組織からも報復を示唆され、精神的に参ってしまったためと言われている。また、慢性的な薬物の摂取により完全な中毒状態であったが、警察に捕まって以降、薬物の入手が困難になり、禁断症状からひどい鬱状態に陥っていたとの話もある。常習していた薬物は主にコカインであったと言われている。音楽的指向がデスメタルであったにも関わらず、ポジティブな歌詞が多いのはその影響が強かったためという人もいる。追悼イベントではブルータル・トゥルースのケヴィン・シャープがTOTTSUANの代わりのボーカルを務めた。

 1995年6月22日死去(享年29)


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