チャールズ・ハッチャー


チャールズ・ハッチャー

チャールズ・レイ・ハッチャー(Charles Ray Hatcher 1929年7月16日生)
 [アメリカ・連続殺人犯]


 ミズーリ州生まれ。前科者の父親と精神不安定な母親との間に生まれたハッチャーは、アルコール中毒患者の父親に虐待を受けて育った。やがて窃盗などの軽犯罪を重ねる生活となり、1959年には新聞配達の少年の誘拐未遂で逮捕された。1961年、州立刑務所で服役中に若い囚人ジェリー・サリントンをレイプ、殺害したが、証拠不十分なため起訴されなかった。ハッチャーは1963年に釈放されたが、6年後の1969年にカリフォルニア州サンフランシスコで6歳の少年をレイプ。12歳の少年ウィリアム・フリーマンを誘拐、殺害した。1978年、16歳の少年をレイプ。6歳のクリスチャン少年を誘拐、殺害。1981年、アイオワ州で38歳の男性、ジェイムズ・チャーチルを殺害。1982年、ミズーリ州セント・ジョゼフで11歳の少女ミッシェル・スティールを誘拐、レイプののち殺害。すぐに逮捕され一連の殺人を自供した。

 ハッチャーは裁判で全ての罪を認め、死刑を希望していたが、1984年に終身刑が言い渡された。判決後、自分の犯行のすべてを打ち明けるという約束をやぶって、刑務所の独房で首吊り自殺を遂げた。

 ハッチャーは、典型的なサイコパスでその生涯は娑婆と塀の中の往復だった。定職に就かずに各地を放浪し衝動的に性犯罪を犯してすぐに逮捕されるが、刑務所行きを避けるために精神異常を装い精神病院へ送られ、そこの医者を騙して短期間で仮釈放や退院をする。隙を見つけて脱走することもあった。また、複数の偽名と複数の社会保障番号を持っており、その名義で服役や入院していたため、ハッチャーの人生行路の正確な足取りは今もって不明である。このため、明らかになっている5人以外にも、ハッチャーの手にかかった犠牲者が多数いると思われる。事実、彼自身も、取り調べにあたったFBI捜査官への手紙のなかで、少なくとも16人(ほとんど全員男性)は殺害したと認めている。これを1982年まで続けて彼の一連の犯罪が明らかになった時に世間にショックを与えた。ハッチャーは多数の偽名を用いていたことが確認されている。また、社会保障番号は6つ持っていた。

 ミズーリ州のセント・ジョゼフに住む6歳の男の子エリック・スコット・クリスチャンは1978年5月26日に行方不明になった。クリスチャン少年の父は地元政財界に影響力を持つ実業家であったことから、市を挙げての大捜索が行なわれたものの、結局惨殺死体となって発見された。警察の必死の捜査の結果、同じ市に住む僅かに知的障害があり前科のあるゲイの男性が逮捕された。尋問したところ精神的に不安定だったこともあり容疑を認めた。裁判では終身刑の判決を受けこれで一件落着かと思われていたが、1982年、ミッシェル・スティールが殺害され、事件直後、近隣地域にある精神病院に「アルバート・プライス」名義で入院したハッチャーが捜査線上に浮かび、逮捕されたのだった。拘置所に収監後、信頼を得たFBIの担当捜査官にこれまでの犯行を自供。クリスチャン少年殺害についてもゲイの男性の関与を否定し単独犯行だったと主張した。裁判でもそのように証言し検察側を認め、彼は釈放された。その後男性は結婚して同じ町で暮らしている。このことは全米で報道され、冤罪事件だと分かると町は強い衝撃を受けた。クリスチャンの事件の担当検事はミスを認めたが、警察は認めようとしなかった。また、エリックの両親は今でも息子を殺したのはハッチャーではなく、最初に逮捕されたゲイの男性だと信じているという。

 1984年12月7日死去(享年55)





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