山口豪久


山口豪久

山口豪久(やまぐちたけひさ 本名:山口智之 1945年1月25日生)
 [俳優]


 東京都生まれ。東京実業高等学校卒業。1964年、国際放映の特撮テレビドラマ『忍者部隊月光』(フジテレビ)の名月役でデビュー。1966年、ピー・プロダクションの特撮テレビ番組『マグマ大使』(フジテレビ)第17話にゲスト出演。のちに妻となる女優の山口千枝と共演。その後も特撮作品を中心に活躍したが、スランプを経験し、「劇団NLT」の俳優教室に1年間通い、演技の基礎を磨き直した。1972年、前述の山口千枝と結婚。後に2女をもうける。1973年、東映の特撮テレビ番組『仮面ライダーV3』(毎日放送)に結城丈二/ライダーマン役で出演。翌1974年には『電人ザボーガー』(フジテレビ)に大門豊役で出演し、これが初主演作品となった。

 1980年代から、俳優業の傍ら、夫人の親戚が関係する中堅食品会社の幹部として勤務した。1984年、『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』(毎日放送)に、再び結城丈二/ライダーマン役で出演。この特番が仮面ライダーシリーズへの最後のゲスト出演であり、俳優の仕事における遺作となった。1986年4月6日、41歳の若さで肝臓癌のために死去。入院からわずか4日後の急逝だった。学生食堂の店長として出店していた桜美林高等学校に当時在籍していた生徒からの投書が、特撮雑誌『宇宙船』Vol.32(1986年10月号)に掲載され、これが最初の訃報記事となった。

 幼少時に実母と死別し、父親が再婚してからは親戚の家に預けられるなど、家族関係に苦労していたという。妻の千枝は結婚後、「夜遅く帰っても必ず自宅で食事を摂ったり、子煩悩だった。自分の家庭は大事にしたかったのでしょう」と語っている。長女の貴子も忙しい時期でも近所の子供たちと一緒に遊んだり、自転車の補助輪を外して乗る練習をしてもらったことを回想している。子供が好きで、小学校などを巡回する劇団を旗揚げして活動していた時期もあった。妻の千枝は、「子供好きであったからヒーローものの仕事を多くやり、自身が早くに母と死別したことから子供たちに家庭の温かさを伝えたかったのではないか」と推測している。晩年は俳優業の傍ら、親族が経営する飲食会社の幹部としても活動しており、高校の食堂でも進んで現場に立っては周囲から「ライダーマンのおじさん」として親しまれていた。妻子の回想によれば、娘を連れて自宅近辺の海に釣りに出かけたり、塾への送迎も飲食業で多忙を極めるなかでも行うなど、家庭を大事にする穏やかな人物であった。

 病は持病で、20歳頃にも一度発症していた。最後の出演となった『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』では既に肝臓を患っていたとされ、長女の貴子は顔がむくんでいたと述べている。最期となった入院に際しては「おなかが痛いので病院で注射を打ってくるよ」と出かけ、そのまま緊急入院した。夫人が世話に向かう際、子供たちは「お父さん大丈夫なんでしょ?」と言って特別見舞わなかったが、4日後には容体が急変して急遽子供たちが呼ばれ、子供たちが病院に到着してほどなく息を引き取った。没後、遺品を整理中に家族それぞれに宛てた遺書が見つかったが、次女に宛てたものは名前だけだったという。

 1986年4月6日死去(享年41)


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