ピーター・ブロック


ピーター・ブロック

ピーター・ジェフリー・ブロック(Peter Geoffrey Brock 1945年2月26日生)
 [オーストラリア・レーシングドライバー]


 オーストラリアで最も知られ、成功したレーシングドライバーの一人である。ピーター・パーフェクト、キング・オブ・ザ・マウンテンまたはブロッキーなどのニックネームで親しまれた。40年近くのキャリアでホールデン、BMW、フォード、ボルボ、ポルシェ、プジョーなどに乗ったが、特にホールデンとは非常に深い繋がりがあった。ホールデン・ディーラー・チームはブロック仕様のレーシングカーのロードバージョンを幾度も発売している。3度の結婚で2人の娘と1人の息子がいた。死の2ヶ月前には孫も産まれている。華やかな女性遍歴でも知られる。

 バサースト1000とサンダウン500でそれぞれ9度の優勝を飾り、オーストラリアツーリングカー選手権(ATCC)において3度の年間チャンピオンに輝く。V8スーパーカーシリーズでは通算37勝を挙げた。これは最近抜かれるまでは史上最高の成績であった。全盛期であった1970年代後半から1980年代、オーストラリア国内のレースで圧倒的な強さだった為、同国出身のF1チャンピオン、ジャック・ブラバムやアラン・ジョーンズと同系列で語られるほどであった。何人かのオーストラリア出身のドライバーと異なり、ブロックは欧州でのフル参戦にこだわることはなかった。 ル・マン24時間レースには3度挑戦しているが、いずれもプライベートチームからの参戦であり、これといった結果は残していない。 1977年のスパ24時間レースでは2位に入った。

 飲酒運転撲滅キャンペーンにも協力的で、1970年代半ばからは競技車両番号に05を好んで付けていた。これは故郷ビクトリア州の定める血中アルコール濃度0.05%以下をアピールする為のものであった。彼が事故死した時の車両番号も05である。1984年のルマンでの失敗のあと、精神的、肉体的なスランプに陥ったブロックは、ライフスタイルを大きく変更していった。アルコールとタバコ、あらゆる動物性タンパク質を断ちヴィーガンになった。また、「エナジー・ポラライザー」と呼ばれる水晶と磁石を使った怪しげな装置を自らの乗るレーシングカーに搭載する。結果、彼の状態は改善していったが、周囲の「装置」に対する見解は最後まで懐疑的であった。1997年にはフルタイムでのレース参戦から引退した。ピーター・ブロック基金を設立、公的な寄付を募り、若いレーシングドライバーを育てる運動を始めた。2002年と2004年にはバサーストにカムバック。また、タルガ・タスマニアのようなラリー・イベントにもしばしば参加する様になった。

 2006年9月8日の午前11時50分、タルガ・ウエスト・ラリーのセカンドステージ、ゴールまで3kmの地点で高速コースアウト。コース脇の木に直撃して即死した。同乗していたコ・ドライバーは重傷を負い、事故時の様子が収められたビデオを警察が確認、オーバースピードによる操作ミスと断定された。家族とビクトリア州によって葬儀が行われ、28年間連れ添った3度目の元妻がラジオを通じてファンへのメッセージを送った。

 2006年9月8日死去(享年61)





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