チャック・シュルディナー


チャック・シュルディナー

チャールズ・マイケル・”チャック”・シュルディナー (Charles Michael "Chuck" Schuldiner 1967年5月13日生)
 [アメリカ・ミュージシャン]


 ニューヨーク州生まれ、フロリダ州出身。1983年に結成されたデスメタルバンド「デス」のボーカリスト、ギタリスト、作曲家、作詞家として著名。また、プログレッシヴメタルバンド「コントロール・ディナイド」等でもギタリスト、作曲家として活動した。シュルディナーは、しばしば「デスメタルの創始者」(The father of Death Metal)と呼ばれ、2002年1月5日のイギリスの音楽雑誌・ケラング!の死亡記事では、「チャック・シュルディナーは、メタルの歴史の中で最も重要な人物の一人であった」と述べられていた。ただし、シュルディナー自身は、自身のデスメタルへの貢献については控え目な態度を示しており、「俺は、俺がデスメタルへの名声を得るべきだとは思わない。俺はただバンドの一員で、デスはメタルバンドだ」と述べていた。

 1999年5月、シュルディナーは首の上部に痛みを感じるようになった。最初、シュルディナーは神経が刺激されて痛みを感じているのだと考えていた。シュルディナーは、セラピスト/鍼師に続いて、カイロプラクターに相談し、MRI検査を勧められた。その後、MRI検査によって、その痛みが腫瘍によって引き起こされていたことが発覚した。1999年5月13日、シュルディナー32回目の誕生日に、神経膠腫、脳幹に侵入する悪性の脳腫瘍と診断され、すぐに放射線療法が行われた。1999年10月、シュルディナーの家族は、シュルディナーの腫瘍は治療によって縮小し、シュルディナー自身は快方に向かっていると公表した。2000年1月、シュルディナーは残りの腫瘍の摘出手術を受け、同手術は成功した。しかしこの時、シュルディナーの家族はこれらの治療費によって財政的に逼迫した状態に陥っていた。これらの治療にかかった費用は、およそ70000ドルであり、シュルディナーの家族には、この費用を捻出する余裕はなかった。そのため、多くの募金、オークション、コンサートがその費用を助けるために開催された。シュルディナーの生命の危機が知れ渡ると、そのショックの中で、費用はメタル・コミュニティーから捻出されるようになった。

 シュルディナーは、音楽活動を再開したが、最初の診断から約2年後の2001年5月、脳腫瘍が再発し再び入院することになった。早急に処置を行う必要があったにも関わらず、費用不足を理由に、シュルディナーは最初手術を拒否した。仲間のアーティストを含め、いろいろな人からの支援を求め、プレスリリースが行われた。キッド・ロックやコーン、レッド・ホット・チリ・ペッパーズを含む多くのアーティストが、シュルディナーの医療費を捻出するために、私物を出品したチャリティーオークションを、2001年夏にMTVで集まって行った。

 シュルディナーは、治療のためにビンクリスチンを用いた化学療法を受けるようになったが、他の抗癌剤と同様に、シュルディナーは大幅に弱体化した。2001年10月末から11月にかけては、シュルディナーは、肺炎にも罹った。そして12月13日、シュルディナーは34歳の若さで脳腫瘍によって死去した。彼は火葬され、MTVは、デスの現・元メンバーのほか多くのアーティストが、彼の追悼式に出席する模様をレポートした。その後、トリビュート・コンサートが、シュルディナーの母、家族、または各国の様々なグループによって開催された。シュルディナーの死は、多くのミュージシャンや彼の家族、そしてファンの間から、保険などの生活保障のないミュージシャン生活についての問題提起も投げかけられた。公式サイトでは、今も彼を悼む声の投稿が続いている。

 2001年12月13日死去(享年34)





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